カルベンとは
図1. カルベンの基本構造
カルベンとは、価電子を6個しか持たず、電子的に中性 (無電荷) 、かつ炭素中心が2価の結合をしている炭素化学種の総称です。
2価の結合に対して価電子が6であることから、中心上に2個の活性な電子を有します。同族元素の類縁体として、シリレン、ゲルミレンなどを挙げることができます。
6個の価電子とプラスの電荷を持つ三配位化学種であるカルボカチオン、及び、8個の価電子とマイナスの電荷を持つ三配位化学種であるカルバニオンとしばしば対比的に取り上げられます。最も単純な構造のカルベンは、メチレン (Methylene) CH2です。この物質はジアゾメタンの分解により発生させることができます。
カルベンの使用用途
一昔前、カルベンは不安定化学種と言われていましたが、近年は隣接置換基による電子供与や嵩高い置換基による立体配座の固定など、分子構造の工夫によって単離されているものの報告が増えています。ただし、製品として販売できるほどの安定性ではないため、前駆体が販売されており、基本的には用時調製されます。
反応性が高いため、有機合成化学における合成中間体として利用されます。代表的な反応は、炭素-炭素二重結合への付加によるシクロプロパン環の生成です。炭素-水素結合、窒素-水素結合、あるいは酸素-水素結合に対しては挿入反応を起こします。
また、隣接する2つの窒素原子に挟まれた環状カルベン種であるN-ヘテロ環状カルベン (N-Heterocyclic Carbene, NHC) の中には、分子構造の工夫によって安定に取り扱うことが可能なものが多く合成報告されています。このカルベン種は、強力な金属配位能を持つため、有機金属錯体の配位子として広く使われている化学種です。具体的なものとして、メシチル基や2,6-ジイソプロピルフェニル基が置換したものなどが挙げられます。
カルベンの性質
1. カルベンの構造的性質
図2. カルベンの分子軌道
カルベンは価電子のスピンの状態により一重項カルベンと三重項カルベンに分けられます。
一重項カルベンは炭素上の混成の形式により、下記の2通りに分類されます。ほとんどの場合は前者のsp2混成型のほうが安定です。
- sp2混成型:3個のsp2軌道に2電子ずつが配置し、空のp軌道が一つ残っている
- sp3混成型:3個のsp3軌道に2電子ずつが配置し、残りのsp3軌道が1つ空となっている状態
三重項カルベンにもsp2混成型とsp3混成型があります。後者のsp3混成型では4個のsp3軌道のうち2個が2電子ずつで満たされ、残りの2個のsp3軌道には同じスピンの電子が1つずつ配置される構造です。
これらの構造のいずれが安定であるかは、炭素上の置換基の電気的、構造的な要因などにより異なります。一般的な反応性としては、一重項カルベンは求電子的な反応性を、三重項カルベンは不対電子によるラジカル的な反応性を示す場合が多いとされています。
2. カルベンの調製方法
図3. カルベンの調製方法
カルベンの生成方法の一つは、ジアゾ化合物からの窒素分子の脱離反応です。多くの場合、熱、光、触媒によって反応が引き起こされます。
また、ジクロロカルベンは、クロロホルムに強塩基を作用させることによって生成することが知られています。この反応の中間体はトリクロロメチルアニオンです。
イミダゾリウム塩と塩基との反応によって生成するイミダゾリデンもよく知られているカルベン種です。イミダゾール環からのプロトンの脱離によって生成するこの分子種は、両隣の窒素原子により強い安定化を受けます。そのため、系統種であるイミダゾリジニリデンは遷移金属触媒の配位子として数多く利用されています。
カルベンの種類
カルベンは前述の通り安定な分子種ではないため、基本的には市販されていません。使用したい場合は、前駆体を購入して用時調製することが必要です。
合成化学的に利用されている代表的なものとしては、下記が挙げられます。
- α-ジアゾケトンから N2 分子を脱離させて得られるカルベン種 (ウルフ転位に用いられる)
- ジクロロカルベン (クロロホルムと強塩基からトリクロロメチルアニオンを経由して得られる)
- N-ヘテロ環状カルベン (NHC) 及びその金属錯体 (イミダゾリウム塩と塩基の反応によって得られる)
参考文献
https://www.jstage.jst.go.jp/article/yukigoseikyokaishi1943/48/8/48_8_710/_pdf